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炎上、批判が嬉しい!?暴走する承認欲求で麻痺する倫理観

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最近のインターネットを巡る若者の価値観について思うことがありましたので記事にしてみました。個人的な意見ではありますが、心が満たされない寂しい若者が増えているように思います。

 

LINEにツイッターフェイスブックやインスタグラムなど、私たちの周りは今やソーシャルネットワークで溢れ返っています。

情報が氾濫しコミュニケーション手段が多様化する現代においては、ソーシャルネットワークをいかにうまく乗りこなすかが重要視されているといっても過言ではないのかもしれません。

こうした情報ツールが活用され、繋がりがフォロワー数など「数値」として見える社会では、ある問題を抱えているように思えます。

 

 

数値が持つ魅力と魔力

それはフォロワー数やお気に入りの数という「数値」がその人の持つ魅力、影響力に見えてしまうという錯覚です。他人との繋がりが目に見えにくい現代において、繋がりとして見えるフォロワー数は一種の自己顕示欲を満たしてくれるものでもあります。

 

崩壊するネットリテラシー

これらの自己顕示欲を満たすための行動はフォロ爆(たくさんのアカウントでフォローを増加させる行為)やふぁぼ爆(同様にお気に入りに入れる行為)などを見ても明らかであり、LINEアカウントのQRコードや他SNSのアカウントなどを公開ツイートする人も多いようです。

本来であれば、画像や個人情報の公開というのはソーシャルエンジニアリングを容易にする行為であり、セキュリティの観点で言えば非常に危険な行為となります。悪意を持った人がターゲットを見つけたらツイートやリプライ、画像を見るだけで大体の住所・本名・誕生日など知ることができ、その気になればアカウントの乗っ取りや本人のなり済ましなどは朝飯前でしょう。

セキュリティの観点から見れば一見危険な行為であっても、本人たちからすれば一人でも多くの人に自分の存在を知ってほしいという承認欲求の方が強いのかもしれません。プライベートな画像やきわどい画像を公開しリツイートを求めるハッシュタグをつけて回すという行為も日常的に行われています。少しでも「知って貰いたい。見てもらいたい。」という自己顕示欲が、そうした行動を引き起こしているようです

 

パクツイする10代の心理

「パクツイ」という言葉をご存知でしょうか。他人のツイートを盗用する行為です。本来であれば、共感したツイートを再投稿するリツイートという仕組みがありますが、「パクツイ」ではツイート内容そのものをコピーし、あたかも自分がツイートしたものであるように振る舞うことを指します。

ツイッターでは、ツイートの内容が共感するものであれば、ファボ(お気に入り)やリツイートされやすく、また知らないユーザーからフォローされることもあります。こうした行為は本来であれば著作権法違反に当たる行為であり、盗用ツイートを繰り返すとアカウント凍結されることもありますが、簡単に自己顕示欲を満たせるので、パクツイするユーザーは多くやったもの勝ちの無法地帯となっているようです。

 

肥大化する動画コンテンツ

肥大化し暴走する承認欲求に応えるように様々なサービスが普及してきました。Youtubeにおけるユーチューバーやニコニコ動画での「踊ってみた」や「歌ってみた」などのコンテンツ、USTREAMツイキャスなどです。これらのサービスは身近なスマホでも簡単に撮影ができ、自分を動画を公開することでファンを作ることができます。これらのサービスは参加するまでのハードルが低く、固定のファンをつくることで自己顕示欲や承認欲求を満たせるため、若者を中心に支持されてきました。

 

広告収入システムの登場

その流れに拍車を掛けるように、さらに若者に支持される仕組みが誕生しました。広告が表示され閲覧者数に応じて報酬がもらえる仕組みです。手軽に承認欲求を満たした上でお金まで受け取れるシステム。人気の頂点まで上り詰めたら、豊かな暮らしが実現出来るレベルで報酬が得られます。金銭欲と自己顕示欲を同時に満たせる優れたシステムであり、人気が出ないわけはありません。この仕組みはとても魅力的で、数多くの若者を魅了しました。

しかし実際にこれらのサービスを利用して、多くのファンを獲得出来るのはごく一部の人たちであり、その構造はアイドルやバンド活動にも似ています。ユーザー数と視聴者が増える一方で、ファンを増やしたくても増やせない人達が生まれてきました。そうしてしばらくやってみた後で挫折する人がほとんどですが、一部の人たちはある行動をします。

 

暴走する承認欲求と自己顕示欲

「より過激に、普通の人がやらない行動をすれば注目を集めるんじゃないか」

こういう発想に至った人は、派手な行動や危険な行為など、普通の人なら避けるようなことをやることで注目を集めようとします。それが賛否を生む内容であっても、ある程度コンテンツとして魅力を持っていて支持されるようなものであればまだ救いはありますが、実際に犯罪を犯してしまう危険性も抱えています。

 

19歳の少年が起こした「つまようじ混入事件」

肥大化した自己承認欲求が引き起こした事件として忘れてならないものに、「つまようじ混入事件」があげられます。スーパーにて商品を万引きしたと思われる動画や、スナック菓子につまようじを混入させる動画を「Youtube」にアップしていた少年が逮捕された事件です。

この少年の動画には、広告は貼られておらず、一円の収益にもならない行為でしたが、自分の存在を認めてもらいたいという承認欲求が彼を犯罪へと走らせたのではないかと見られています。そして「気持ちがわかる」という若者も一定数いたことが現代社会の闇を映し出した事件と言えるでしょう。

目立って認めて欲しい。自分がここにいるぞ!っと。自分だってこんなことできるんだぞ! って、心の中で叫んでいる若者に出会うことが多い。しかも、その数は確実に増えている。「承認欲求」「自己顕示欲」ーーー。言葉が違えど、どちらも「自分の居場所」を求める若者たちが増えていて、それが彼らの「危険で、フツーでは考えられないような言動」に駆り立ててるんじゃないか? そう思えてならないのである。

引用元:若者の“自己顕示欲”は高まっているのか? 19歳少年に見る現代社会の闇(河合薫) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

15歳の少年が起こした「ドローン事件」

去年は祭りの上空撮影にドローンを飛ばした少年が逮捕されました。少年は「配信業」を自称し、視聴者から仮想通貨を集めていたそうです。大人が資金提供をしていたということでも問題視されましたが、「視聴者を得たい、報酬を得たい」という強い思いが少年を犯罪へと駆り立てました。

getnews.jp

少年が行った行為は明らかに犯罪と呼べるものではないものの、使用自粛が呼び掛けられた中で行われたものでした。逮捕についても賛否が分かれた事件でしたが、少年はそれほど祭りに情熱を傾けていたわけでもなく、そもそも普通は行わないことをあえてやることで注目を集めたかったのでしょう。

 

「ブログ」という個人メディア

同じように個人でコンテンツを配信し、収入を得るという方法に「ブログ」という選択肢もあります。ブログでは文章を書く必要があり、面倒だったり書くほどのコンテンツがないという人は手を出しずらい手段ではありますが、文章が読めて文章が書けるのであればやる気次第でどうにでもなるものでもあり、一部では人気となっています。ブログでは方法次第で上記のサービスと同じように自己顕示欲と金銭欲を満たすことができます。

 

ブログが持つメディアとしての可能性

更にブログはこれらのサービスと同様、承認欲求を満たした上で収入を得ることができ、運用次第ではメディアのような媒体となることも可能です。上記にあげたサービスと同様に、一部の人だけが注目を集めるツールであり、大多数の人が挫折してしまうことも少なくありませんが、その点を考慮しても余りある魅力がブログにはあります。

ブログでは、フォロワーなどと同様にPV(アクセス数)や読者数という目に見える「数値」が存在します。個人の影響力の強さを表すようにそれぞれのPVや収益を報告しているブログも多く、ある一定のブロガーのモチベーションやマウンティングにも繋がっています。ですが、始めたばかりの初心者が簡単に稼げる「数値」ではありません。

 

自己顕示欲に翻弄されるブロガー

そしてアクセスをあげるためにどうすればいいか。普通の人は地道に努力をしますが、承認欲求に駆られた人は他のサービス同様に同じような行動を取ります。


「より過激に、普通の人がやらない行動をすれば注目を集めるんじゃないか」

という発想です。

 

ブログでも見られる自己顕示欲の暴走

ブログサービス自体、10代のユーザーは少なく犯罪を起こすほどのケースは少ないようですが、やはり注目を集めるために倫理観に欠けた行動を取ることがあるようです。

炎上マーケティングに近いものですが、炎上マーケティングのような綿密な計画性があるわけではないようです。ただアクセスと収益を得ることだけが目的で、とても炎上マーケティングと呼べるレベルのものではありません。記事の内容は二の次で「とにかく構ってほしい」という行動を取ります。

 

とある大学生ブログの場合

先日あるブログが炎上しました。その後に書かれた記事がこちらです。

非難することを、否定したこの記事をここまで、非難されるとは思いませんでしたが(笑)、多くの人が「否定視点」「肯定視点」について、言及してくださり、様々な意見がネット内にでたことが、とても嬉しかったです。

引用元:【運営報告】25,000PV突破。オピニオン記事で、バズを狙う方法 - AI TIME

著者が非難されたという元の記事に関しては、数多くの批判コメントが殺到していました。通常、炎上というものは避けられるものであれば避けたい現象で、多くの企業でも炎上対策としてSNS利用についての研修などが盛んに行われているものです。

 

非難されるとは思いませんでしたが(笑)

引用元:【運営報告】25,000PV突破。オピニオン記事で、バズを狙う方法 - AI TIME

自分の意見を書いた記事が炎上したような場合、コメントについては真摯に受けとめ、今後のブログの改善するべき課題が見えてくるものですが、著者はこのことを嬉々として語っており、さらに炎上した経験を共有するべく記事にしてしまいました。

 

オピニオンを書くときは、全部を伝えようとするのではなく、ツッコミどころを残すのも大事。

引用元:【運営報告】25,000PV突破。オピニオン記事で、バズを狙う方法 - AI TIME

 炎上した記事は、たまたまちょっとした失言が炎上したわけではなく元々炎上するべく意識して書いていたようです。

とはいっても炎上の元となった記事は友達の夢を語る記事であり、友人の将来の夢さえもネタとして燃やしてしまう価値観は、承認欲求が暴走した結果と言えるでしょう。こうした行動には「自分を見てほしい。認めてほしい。」という想いが倫理観よりも優先されているように見受けられます。

 

 しかし炎上を繰り返すことで読者には飽きられ、本人は中毒症状のようにこういった行動を繰り返し起こすようになるため、最終的にはサイト閉鎖となることも多いようです。インターネットにおけるネガティブなイメージは長期にわたり定着するものであり、個人情報を公開しての炎上マーケティング紛いの行為はとてもリスクが大きいものではないでしょうか。

 こういうケースの場合、炎上した上で特に反省していないどころか喜んでいることを強調し、さらに注目を集めようとします。これらの行為でも思うように注目が集められなくなった時に、なにが残るのかを考えるとあまり喜ばしいことではないと思います。

 

さいごに 

これらの行為は、いくらアクセスが増えても、フォロワー数が増えても自分自身が認められているわけではなく、支持されているものでもありません。「批判されても構ってもらいたい。炎上しても嬉しい。」という病的なまでの歪んだ承認欲求はこうした行動を引き起こし、そしてまた繰り返します。

高度化する情報化社会と心の寂しさを映し出すようなこれらの行動は、一部の10代のみならず20代にも波及しているように思えます。

こうした膨張する承認欲求が生み出す行動は、生理的欲求と安全の欲求が比較的満たされている現代社会が抱える問題なのかもしれません。